誰も気が付かないほどのマイナーチェンジかもしれないですが、
草木のはちみつ専門店の、aboutページ(事業案内)を変更しております。


「途上国」という言葉を、HPから一掃した、というのがその点になります。


当事業を始めた動機もそうでしたが、「途上国という言葉はおかしいのではないか」「不当ではないか」という考えがありました。


そう呼ばれている国々においては、現代的な農業や産業が押し寄せられてきても、むしろ現存している農村生活をよりよく生かす形で、近代(何が近代化という言葉も問題ですが・・・)的なものと、これまでの自然的なものとを、有機的に保つことの方が魅力ではないかと考えておりました。


何の途上なのか、何の先進なのか、


これは、抽象的で、本来規定するのは向いていない言葉であると思います。


個人的に何かに向かっていて、それを基準として自分が今、その目標に対して「途上」であるとは言いうると思われますが、他者を規定するために使える言葉ではないと思います。

世界を1つにひっくるめて「ここが目指す場所だ」と言い切るのは明らかに強引で難しいと言わざるを得ないと思います。



特に、「先進」であるとする国々が、産業をグローバル化した結果、グローバルレベルの貧富の差や国内格差が大きくなったり、世界規模の環境破壊が浮き彫りになってきた中で、これを「先進」と呼ぶにはまだ強引な感じがあるのが直観的な感想だと思います。


先進という一つの基準がもしあるとしても、まだ、私たちはまだ見えていない世界も多く、先進には到達していないと思うし、まだ「途上」という方が、よりすっきり腑に落ちると思います。



と、ここまで、書いてきたことも大して新しいことではなく、多くの人がそう思っていたりします。



ただ、当店を始めた私が、途上国と呼ばれた国出身だったため、「途上国といわれる立場」として、いつも言葉の違和感に苦しんでいた節がありました。


ホームページにも、「途上国と言うのはおかしい」ということを書かなければ言いたいことが言えない、自分の違和感や立場が示せないとの思いがどうしてもついてくるため、この言葉を使いたくない当の私自身が、この言葉を使う羽目になってしまい、逆に苦しんでおりました。


否定したいことを伝えるために、逆にその対象物にいつまでも追いかけられる、という、なんとも言えない状況でした。



しかし、昨年から、論文という形で、このような思いをまとめようと、奮闘しておりました。

その中で、おそらく自分自身が、この言葉としつこく対峙したからなのか、いつの間にかどうでもよくなってまいりました。


当然、この先進・途上といった言葉はよくはないと思いますが、私が個人として言葉に「憑りつかれる」ことがなくなった、という意味で、解放されました。


変な話ですね。急に解放されて自分でも皮肉だなぁ、と思います。


そして、この言葉を使わずに、自分自身を言い表せるように、もう一度元に戻ったような感じです。


つまり、「環境保全がしたい」という、単純に自分のモチベーションだけで大丈夫になりました。


そういう意味で、HPから、この言葉を取り除いても、活動が説明できるようになりました。
凄いことです。



世界の様々な養蜂家さまと、環境保全をしながらおいしい蜂蜜をとる、そのような持続可能な暮らしの在り方を、様々な世界で一緒に実現するのが夢であると、今はそういう説明で当店を説明できるようになりました。